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極檀優也の写真

清水屋旅館の息子
極檀 優也

はじめに...
 初めまして。清水屋旅館のせがれ、極檀優也です。
 ここ南部町の清水屋旅館で生まれ、一度は県外で学生・会社員として過ごしていましたが、やはり、地元での生活が性に合っていると実感し、令和2年にUターンしてきました。
 帰ってきてからは、“実家である旅館を失くしたくはない“という思いと、それでも抗うことのできない”地方の過疎化”との間で、“どうすれば自然な形で旅館や地域を残していけるのか”というテーマで活動しています。
プロフィール
南部町の清水屋旅館の3人兄弟の長男として、1994年3月に生まれました。現在27歳です。
近所の保育所、小中学校を卒業し、八戸高専(5年制の学校)へ入学しました。
4年生までは、寮生活でしたが、卒業後は東京へ行く予定でしたので、最後の1年間は自宅である清水屋旅館から学校へ通いました。
家族との時間を持ちたいというのが理由です。
八戸高専卒業後は、東京農工大学の3年生へ編入し、卒業後は大学院へ。
4年間で化学の勉強へ打ち込み、修士号を取得しました。
卒業後は、化学メーカーへ就職しました。
配属地となる宮城県内の工場へ勤務し、その後2年で退職して、昨年4月にUターンしました。

1994年生まれ。八戸工業高等専門学校から東京農工大学 応用分子科学科へ進み、発光ダイオード(LED)に使われる半導体などを研究。同大大学院修士課程修了後、大手石油元売り会社に入社し仙台市の製油所に勤務。2020年4月にUターン。明治時代中頃から130年以上続く青い森鉄道三戸駅前の旅館「清水屋」5代目。

所属
創業130年の小さな町旅館:清水屋旅館
観光まちづくり会社:株式会社バリューシフト
アップルヴィーガンレザー:appcycle株式会社

SEGARE CHALLENGE

清水屋旅館の息子が挑む新たなチャレンジ

清水屋のチグハグ

清水屋旅館は、製材所を営んでいた初代が、明治20年代、三戸駅の開業を機に屋敷を行商人などの宿場として貸し出したのが、始まりだと聞いています。
それから、約130年。三戸駅前は、当時の賑わいは無く、映画館や商店が立ち並んでいた商店街も、今は数軒の飲食店があるのみ。3軒あった旅館も、今では清水屋旅館のみとなっています。
旅館の跡取りとしては、なんとか旅館を残していきたいという気持ちがありつつ、一方で、これから過疎化が進んでいく中で、今までと同じようなビジネス旅館という形でやっていけるのか。
一方で、旅館を大改革するとしても、明治時代から建っている基礎をどのように活かすのか。
そもそも、旅館と地域は運命共同体、旅館をどうにかするよりも、まずは地域をどうにかしないといけないのでは。

そういった事を考えながら、現状は、“旅館の仕事”を半分、“町づくりの仕事”を半分という形で働いています。

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